当院について

当院のおもい


PHILOSOPHY

つながり、つなげる。

患者さん、ご家族さんを真ん中に、
つながろうメンバー
医療・介護・福祉・行政
それぞれが大切な存在です。
それぞれの立場を尊重し、それぞれの役割を発揮し、
患者さんが望む人生に、患者さんが望む医療の選択につなげる。
医療も古き良きと最先端をつなげたい。

選択が変わっても良いじゃないか。
それが”心”。
コロコロ変わっても
心なのだから、これまでと今と
これからの患者さんの
心を大切につなげたい。
そのような医療を目指します。

医師紹介

宮前 雅明
院長

耳鼻咽喉科 担当

宮前 有子
副院長

ペインクリニック 担当

宮前 了輔
副院長

在宅医療・内科・耳鼻咽喉科 担当

院長 挨拶

宮前医院は、1984年(昭和59年)に私・宮前雅明が継承しお子さんと若年層を中心に耳鼻咽喉科診療を提供、1989年(平成元年)に妻・宮前有子がペインクリニックを開設し中年世代から高齢者の慢性疼痛疾患に対応してまいりました。さらに時代とともに変遷し、2022年(令和4年)からは高齢社会でニーズの高まる在宅医療部を次男・宮前了輔が開設しました。
綾之町の地で75年を迎え、日々気持ちを新たに、地元のお年寄り、子供達、患者さんのお役に立てるように頑張って参りたいと思います。

2023年6月
院長 宮前雅明

副院長 挨拶

患者さんの深い苦悩に接したとき、まさに我が事のように、自分の中から発生しているように、あるいはそれに飲み込まれているように、感じられます。当然、私の持っている知識と技術を総動員して小さくなるようにベストを尽くす訳ですが、そう簡単に人間の苦悩とはすべて解消出来るわけではないです、よね。そのような場合も、患者さんと苦悩を共にし、苦悩にまみれるというケアの原点を、私の医療の大切な足場としたいと思います。
(参考文献:加藤直克 2015年. 「おぎゃー」と「お金」の間(あわい) 浮ヶ谷幸代(編)苦悩とケアの人類学(pp.287-319). 世界思想社)

2024年9月
副院長 宮前了輔

[宮前了輔 経歴]
2007年 自治医科大学医学部卒。同年より奈良県立奈良病院にてローテート研修
2009年 奈良県立五條病院 へき地医療支援部
2010年 下北山村国民健康保険診療所 総合診療
2012年 奈良県立医科大学 耳鼻咽喉科医員
2014年 曽爾村国民健康保険診療所 総合診療
2016年 近畿大学奈良病院耳鼻咽喉科、ベルランド総合病院耳鼻咽喉科

同年10月から 堺山口病院 にて内科外来、内科病棟管理、在宅医療に従事。
2020年からはコロナ診療、院内感染対策、コロナ往診にも従事。
2022年7月に宮前医院在宅医療部を設立。
コロナ自宅療養者の往診事業「KISA2隊」活動に参加。

医院の変遷

1945年(昭和20年)、父・宮前禮二は上本町の大阪日赤病院に勤務いたしておりました。堺市の御陵前に日赤の分院があり、天王寺駅前からチンチン電車で診察に通っていたようです。1948年(昭和23年)秋にチンチン電車の綾之町電停前で、宮前耳鼻咽喉科を開設しました。

当時の綾之町周辺は市場が栄えて、映画館があり、芝居小屋が2軒、酒場、料理屋、鮓屋、食堂等が紀州街道沿いに軒を並べて、堺東(俗にガシ)とともに、綾之町(俗にヤンチョ)は大変賑わっておりました。残念ながら現在は往時の面影はなくなってしまいました。

堺市旧市街地区は平成の時代に高齢化が進み、高齢化率は倍くらいになりましたが、平成の終わりから高齢化率は横ばいで経過しているようです。今までのどんどんお年寄りが増える町並みの変化から一息つき、堺の町は新たな定常状態を目指し気取らずしかし着実に変化しているように思います。

2023年6月
院長 宮前雅明

『宮前医院』ロゴ・シンボルマークの由来

※2024年「医療法人 宮前医院」のロゴをリニューアル致しました。

  • 宮前-MIYAMAEの“m”のデフォルメ
  • 宮前のルーツである、紀州熊野の熊野三山へのリスペクト
  • 生活を支える医療にとっての一つの目標である「穏やかな人生」を表した疾病軌跡(illness trajectory)